気まぐれ日記 06年11月
06年10月はここ
11月1日(水)「ラグビーと書評・・・の風さん」
今朝も5時起きで、次女を最寄の駅まで送っていった。まだまだ日が短くなるので、早朝とはいえ外は暗い。ミッシェルのライトを点灯して走る。次女がこんなに早く家を出るのは、授業開始前に学校の美術室で絵の自習をするためだ。自宅が遠いのとラグビー部のマネージャーをやっている関係で、旭丘高校の美術科なのになかなか実技の時間がとれない。
その旭丘高校のラグビー部が快進撃を続けているらしく、ベスト8まで勝ち進んだそうだ。
「お父さんの母校の秋田高校は、今年の県大会で優勝して花園行きが決まったんだよ」
「へー、すごい」
父と娘の不思議な会話である。
昨日までで会社の仕事の大きなヤマ場をまた一つ越えたので、今日から気分一新している。が、眠い。そりゃそうだろう。今日で3日連続の5時起きなのだから。ワイフの風邪が治ったら、明日からはこの役目はワイフに戻そう。
会社で目を開けているのがつらかった。・・・と、ケータイでプロバイダーのメールチェックをしたら、重要な情報が届いていた。
地人館書店の月刊天文にも『ラランデの星』を送ってあったのだが、書評が掲載されていたというメールだった。元国立天文台の木下先生からだった。先生は続けて、「でも、残念なことに、この雑誌は休刊になってしまうそうです」とあった。
(会社帰りに買わねば……)
それで、定時後、急いで退社して、なんと4軒の書店を見て回ったのだが、月刊天文12月号がなかった!
疲れ果てて帰宅し、地人館書店のホームページから直接注文した。
11月2日(木)「これも昨日の出来事さ・・・の風さん」
昨日の話題の続き。風さんは毎日非常に多忙である。
今年、プリンターを更新したことは以前に書いたと思う。スキャナー機能もある複合機だ。コンパクトで気に入ったのだが、欠陥があった。インテリジェント化された部分に落とし穴があった。電源を入れると、毎回各色のインクカートリッジの認識をするのだが、エラーメッセージが必ず出るのだ。
「同じインクタンクが複数取り付けられています」
ばかやろう、んなわけないだろ!?
取り扱い説明書を見ても、対処法が分からない。
これまで何度も何度もインクカートリッジの脱着を繰り返すことで、何とかエラーメッセージを消してから使用していた。不便なことこの上なかった。
それが、今回の風邪でダウン事件で、たまたま月曜日の日中に書斎にいることができたので、サポートセンターへ電話して苦情を訴えることができた。
「インクタンクに取り付けられているチップが不良で、本体との通信がうまく行かないのです。新品とお取替えします。申し訳ありませんでした」
そういうことだったのだ。
新しいインクカートリッジが昨日届き、交換したら、問題が解消した。
早速、会社の同僚から借りてきた音楽CDのコピーを作るときに、レーベルの画像をスキャナーで取り込んですぐ印刷したら、すばらしいコピーレーベルができた。そっくりなのである。そりゃそうだろう。スキャナーで読んだ情報そのもので同じ機械で印刷したのだから。複合機のメリットとも言える。
やっと完成したCDのコピーをワイフに見せようとしたが、既にワイフは就寝していた。明日は、次女を送って行く役割に復帰するのだ。
11月3日(金)「遠くの有名人より近くの超有名人・・・の風さん」
配布された住居地の広報を読んでいて、気付くことがあった。私もよく利用している図書館(まもなく開館5周年を迎える)で、通算100万冊目の本を借りた人が町長から記念品を渡されている写真が掲載されていたのだが、あっさりと書かれた名前にピンとくるものがあった。そこで、早速インターネットで検索してみたら、超有名人だった。コンクリート製の手製ヨット「エリカ号」で太平洋を横断した長江裕明さんである。同じ町内でこそないが、近くに住んでいたのである。
ときどき他人から私のことを「すごい人が近所に住んでいて驚きました」と言われるが、そういうとき「気付かないだけで、私なんかよりすごい人がたくさんいるんですよ」と答えることにしている。まさに今回もそれが当てはまるだろう。
11月4日(土)「月刊天文が休刊・・・の風さん」
ネット注文した月刊天文12月号が届いた。掲載されていた書評は、書評と呼ぶよりも簡単な紹介記事であった。そもそもスペースが小さすぎるのだ。ぜいたくを言えた義理ではないが。
しかし、そんなことより、休刊になってしまうことの方が問題だ。特に天文ファンの撮影した星の写真が掲載されるので、多くの天文ファンを立派な天文家に育てたに違いない。ところが、近年はそういった天文ファンが減っていて、赤字なのだという。今日の地元の夕刊にそのことが記事で出ていた。まだいくつか天文雑誌は残っているが、老舗の月刊天文が消えることは寂しい。
恐らく、最終号となる12月号は完売するだろう。はたして『ラランデの星』の記事に目がとまるだろうか。
11月5日(日)「執筆マシンはスグレモノ・・・の風さん」
今年更新した書斎の執筆マシンには多彩な機能があり、ようやく少しずつ使いこなすようになってきた。
しかし、一方で、不調のものがある。最初からバンドルされているソフトで、きわめて動きが鈍いものがあるのだ。試しにバージョンアップしてみたが、改善されない。俗に言う年賀状ソフトである。それで、インフォメーションセンターへ問い合わせをメールでしているのだが、そのやりとりがそろそろ1ヶ月くらいになる。不具合の原因を探るために、先方からさまざまの確認メールが届き、それを実行してみて症状を伝えているのだ。まだ、真因が特定できないでいる。私もさっぱり予想がつかない。
今日は新作のプロットの修正に専念したが、執筆マシンのハードディスクに録音した音楽を、バックグラウンドミュージックとして流しながら作業をした。まだ数枚しか録音していないが、いくらでも入りそうなので、これならいちいちCDの出し入れをしなくて済むから楽である。
11月6日(月)「間抜けなパソコンの持ち主やーい!・・・の風さん」
世界中のどこかの間抜けなパソコンがウィルスに感染していて、えらい迷惑をこうむっている。
恐らくそのパソコンには、膨大なメールアドレスデータと一緒に、およそ5分に1回メールを送信するソフトがインストールされている。その膨大なメールアドレスの中に、私のものが含まれているために、じゃんじゃん届くのだ。
迷惑メールのタイトルは、すべて「Best for Your Health, ****(ここに私のアドレスが入る)」となっている。
昨夜から今日の昼過ぎまでで、70通くらい届いていた。その後も、じゃんじゃん届く。放っておいたら、サーバーがパンクしてしまうだろう。誰か早く、この間抜けなパソコンの持ち主に連絡して、ウィルスを殺して欲しい。
11月7日(火)「藤原正彦先生と拙著・・・の風さん」
会社の同僚がすごい情報をもたらしてくれた。
昨年の文芸春秋特別版(平成17年11月臨時増刊号)「一冊の本が人生を変える」の中に、書棚拝見という記事があり、藤原正彦先生が登場していた。書斎の写真と一緒に書棚のある部分の写真が「数学史の本たち」というキャプション付きで掲載されていたのだが、なんと、そこには私のそれまでの作品がすべて写っていたのだ。『円周率を計算した男』『算聖伝』『和算忠臣蔵』『怒濤逆巻くも(上)(下)』である。
今年も新刊を贈呈したので、たぶん、その一画には『ラランデの星』が追加されていることだろう。
光栄であり、感激だ。
11月8日(水)「あれこれやってダウン・・・の風さん」
昨日の文芸春秋特別版のバックナンバーを注文しようと、文芸春秋社へ問い合わせメールを送ったが、返信が来ない。
久々に本をネット注文した。買ってもなかなか読めないので、しばらく自重していたのだが、昨日の文芸春秋を読んで、とにかく買っておこうと思ったからだ。それにしても、そのうち書斎の床が抜けるぞ、きっと。
執筆マシンのバンドルソフトである年賀状ソフトの動作が遅いので、もう1ヶ月くらいかけて調査のメール交換をしているが、とうとう先方から指示が来なくなった。行き詰っているらしい。
やっと大好きなZhang ZiyiのDVD「SAYURI」が販売されたので、ネット注文した。
常時使用している薬がそろそろなくなってきたので、一気に3ヶ月分をネット注文した。
それにしても、昨夜から1日で、約100通もの迷惑メールが届いた。どうなっているのだ?
今夜、会社の同僚のお母さんが亡くなられたので、その通夜に列席してきた。私の母と同い年のようだ。
少し気疲れして帰宅し、窮屈だった喪服を脱いだら、どっと疲労が襲ってきた。
ダイエットも兼ねて、夕食を控えめにしたのだが、猛烈に睡魔も襲ってきて、そのままダウンした。
そして、翌朝を迎えることになってしまった。先日の風邪がぶり返したようだ。
11月9日(木)「冴えない風さんの巻」
随分寝たのだが、まだ体がだるい。熱っぽい感じもする。無理がきかないのだ。早く筋トレを復活させねば。
とは言え、出社して、何とか仕事をこなした・・・が、全然能率が上がらなかった(当たり前か)。
帰宅して、夕食後にゆっくりと入浴した。気分が少しスッキリした。
月曜日に再度詰めてもらった右奥歯の詰め物が昨日とれてしまっている。どうにも情けない絶不調だ。
書斎に入り、今年初めて石油温風ヒーターに点火した。暑く感じないのだから、やはり体調は万全ではないようだ。
メールチェックしているだけで、どんどん時間が過ぎる。もっとも迷惑メールを削除している時間がほとんどなのだが。
明日は早朝から病院へ行ってあちこち検査を受けてくる予定である。
11月10日(金)「厚顔の醜老人・・・の風さん」
診察と検査の結果、予想通りというかいやでも目をそむけることができない現実が浮かび上がった。加齢にともなう症状の一種である。
総合病院に行ったので、ついでに別の診療科でも診てもらった。こちらも病気が発見された。
今日はどちらも妙齢の女医さんだった。ついでの方はさておき、主目的の方は、女医さんは想定していなかった。
はるか大昔、高校生だった頃、手術のためにテイモウを経験したことがある。外科で一番美人と思われる看護婦さんに処置されてしまった。厚顔でなく紅顔の美少年(?)としては、羞恥で逃げまどう余裕も、尊厳を維持するための反抗といった知恵も何もなく、あれよあれよという間にやられ、ひどく落ち込んだ後はめっきり口数が少なくなったものだ。
退院するまで私は、病室の中の一小動物にすぎなかった。
・・・そして今日の診察や検査では、止むを得ず下半身を露出する事態に追い込まれた。
が、人生経験が豊かになったゆえか、あるいは悟りの境地に入っているのか、私は、平然とされるがままになっていた。
しかし、よく考えてみると、明確になった老人性疾患の事実よりも、羞恥心を失った自分の感受性の麻痺の方が、はるかに大問題に違いない。こんなことで良い小説が書けるか。
11月11日(土)「親友の特別講演・・・の風さん」
昨夜は深酔いし午前様で帰宅した。
そもそも深酔いすること自体が、私には珍しい。親しい人としか深酒はしないので、昨夜は安心して飲んだのだ。
午前中は病院だったが、午後は会社だった。
定時後に東北大学の小菅教授の特別講演があった。教授は、実は、会社の同期入社で、彼が会社を辞めてからもずっと親友である。そのうち会社を辞めるとほざていた私が入社27年目に入っていて、超優秀で問題があったわけでもなく退社した彼が、今では私の母校の教授になって世界的なロボットの権威として活躍しているのだから、人生とはエキサイティングなものである。
その彼が会社に到着してからの案内、特別講演、そして講演後の会食、さらには名古屋のホテルのバーでの一杯まで、楽しく付き合ったので、私にしてはアルコール量が規定を超過してしまった(笑)。
特別講演の中で、彼は世の中の理科離れに対して警鐘を鳴らしていた。ゆとり教育の問題についても危惧していた。2015年には、人材面で日本に危機が到来する恐れが大きいことを訴えていた。
地球環境問題がかなり以前から有識者の間で話題となり、着々と技術革新や法改正が進められて、この地球存亡の危機が徐々に回避されつつあるように、この教育の問題についても、私はそれほど心配していない。地球環境問題と同様に、多くの人々から猛烈な指摘がなされ続けているからである(もちろん私もその一人だ)。一種の制御システムのように、人間の世の中には、うまい具合に自律的に調整されていくことがある。一人一人が正しいセンサーやアクチュエイター、制御回路として働けばよいのである。
11月12日(日)「体調はイマイチでも・・・の風さん」
昨日の雨が上がって、いつものように強風が吹き荒れる1日となった。屋内にいても寒いので、暖房をつけた。
このところあまり無理はしていないはずだが、まだ体の奥がずきずきと痛む。CRP検査をしたら陽性反応が出そうな気がする。恐らくウィルスがまだ巣食っているのだ。
ということで、今日も筋トレを自粛せざるを得なかった。
某出版社へ売り込んでいる小説のプロットの修正に精出した。今日は、方陣について少し書き込まなければならなかったので、ネットで調べていたら良い資料が見つかって、勉強した。いくらか理解が進んだ。この調子で数独の勉強もしたいのだが、ちょっと時間が……。いや待てよ、ルービックキューブを挑戦しておいた方が良さそうだぞ。と言いつつ、心の中では昨日発売になったPS3が気になってしようがない。とりあえず買っておきたいところだが、たぶん何ヶ月も手がつけられなくなるのがオチだ。
新鷹会の関係の仕事もあって、たくさん手紙を出さなければならなかった。
出すだけではなく、うれしい郵便物も舞い込んだ。三重文学協会で出している「文学館」が送られてきたのだが、清水信先生がしっかりと『ラランデの星』の書評を書いてくださっていた。かなり作品の周辺を調査した様子が見られ、頭が下がる思いがした。また、「清水信文学選 短編小説集(1)」が同封されていた。見ると、半分以上が私が生まれる前の作品である。寄贈図書リストに入れておこう。
昨日から飲みだした薬の副作用が血圧降下ということだったので、これまで服用していた薬との相乗効果を心配し、朝から継続的に血圧をチェックしてみた。幸か不幸か、血圧は高いままだった(飲まなきゃ、もっと高いのか?)。
11月13日(月)「久しぶりにエグゼブティブ名鑑を見てみたら・・・の風さん」
私のホームページのトップページに、「Net Rush」出演のことが出ているが、先日、久しぶりに同サイトを訪れたら、彫刻家の牛尾啓三さんが出演されていた。私の前に出演された京都大学の上野先生のお話に出てきた方である。つまり、今年スペインで開催された国際数学者会議で石の彫刻の実演を披露した方である。そのときの模様が、今回の番組で紹介されていて、彫刻ができていく様子がよく分かった。同時に、牛尾さんという方の実直なお人柄もよく出ていて、素晴らしい人だと思った。
11月14日(火)「読書三昧・・・の風さん」
往復10時間かけて日帰り出張に行ってきた。現地滞在は4時間である。
電車に乗っている時間はほとんど読書にあてることができた。今読んでいるのは、吉村昭さんの『ポーツマスの旗』である。日露戦争の講和条約締結のためにアメリカへ行った小村寿太郎を描いた、中身の濃い重厚な作品である。
私は官僚もお役人の経験もないが、こういった外交交渉というのは、会社で他社との間に生じる、さまざまな問題対応と似たところがあり、物語の展開がよく分かる。特にリーダーシップをとっている小村寿太郎の姿に共感を覚える。そして、ひとつの歴史的事実でも、それを見る者の立場(同僚なのか、上司なのか、国民なのか、相手国なのか協力国なのか)によって解釈が違ってしまうこと、またそれを承知の上で、自らの信念を通す人間の姿に感動する。
しかし、あまりの長編のために、読破するのにあと1週間はかかりそうだ。
11月15日(水)「秋深し、今年最後のゴキ?・・・の風さん」
年内もやることが多く、有休は大事に使わなければならない。今日も、新鷹会の勉強会はパスした。
最近は午前零時前に就寝するようにして、起きている時間帯の効率を重視することにした。睡眠不足では、何かと集中力が低下するからである。
勉強会に行かなくても、新鷹会の仕事はやらなければならない。来年の「大衆文芸」用原稿執筆の会員分担計画と執筆依頼を、会員に配布することだ。
勉強会に出席している会員のためには、15人分を印刷して配布を頼んであった。勉強会に出席することのない会員のためにも、配布しなければならない。電子メールの通じる会員5人にはメールに添付して送った。郵送対象の人には、既に5通を前の週末に投函してあったが、今夜、さらに8通、郵送の用意をした。計画表と依頼文の印刷ならびに封筒の宛名印刷である。
仕事が終わって、就寝前のシャワーを浴びに行ったら、換気扇のところにゴキがへばりついていた。かなり秋も深まってきたので、翅(はね)が紅葉している・・・わけではないが、茶ばねゴキブリだった。
冬眠して来年再会したくなかったので、浴室から出てゴキジェットを持って戻り、昇天してもらった。
11月16日(木)「はたして長女は成人式に振袖を着れるか・・・の風さん」
長女が成人式を目前にしている。私に似て、そんな世間並みの習慣には背を向けていたのだが、突然、振袖を着て成人式に出たい、と言い出したのでぶったまげた。振袖を買って欲しいとまで言う。どういった心の変化があったのかは謎だが、既におとななのだから、その意思決定は尊重したい。こっちは血圧も高ければ下半身にも加齢にともなう異常が起きている老人だ。老いては子に従え、である。
義母が夢を託してワイフに着物をたくさん持たせてくれた。私の母もワイフに帯を上げたりしている。それはそれで、日本の文化の伝承であり、良いことだが、保存には気を遣う。しっかりした桐の箪笥も必要だ。そういうことを考えると、長女にはとてもそんな芸当はできそうもない。
来月から名古屋のマンションを借りて一人暮らしに挑戦しようとしている長女が、部屋の片付けを始めた。
出てくる、出てくる、ゴミの山である。
11月17日(金)「新パソコンショップに失望・・・の風さん」
当地へ越してきて以来贔屓にしていたパソコンショップ(実は大規模電器店)が、別の店舗と経営統合したため、そちらへ吸収されて移転してしまった。それが今日から新装オープンセールになるため、帰りに回り道をして寄ってきた。
そこは非常に大きなビルで、色々な店舗が並んでいる。
地下の駐車場に誘導されて、そこから店内に入ると、目指す電器店は2階だった。私は、エスカレーターを使ってそこへたどりついたのだが、途中で家具屋とかスーパーとか100円ショップ、ファーストフード店とか薬屋の前を通りながらだったので、広々とした電器店に入ったときには、購買意欲が減退していた。
それはなぜかと言うと、パソコンショップというのは、おとなにとって、子供にとっての玩具屋みたいなもので、商品の前に立つのは心浮き立つものなのだ。それが、同じ屋根の下の店舗に入って、全く客種の違うゾーンを通りながら、そういった夢のある売り場に行くということは、興ざめするということだ。パソコン類とは縁のなさそうな客と同じ店内の空気を吸いたくないのだ。これはゴーマンというのではなく、デリカシーの問題である。
11月18日(土)「40日ぶりに筋トレ復帰・・・の風さん」
低気圧が近付いているせいか空がどんよりとしていて寒い。
40日ぶりに筋トレに行ってきた。せっかく調子に乗っていたのに、ウィルス性の風邪を引いて中断していた。回復してからも体の奥に、何か潜んでいるようで、運動は自粛していたが、それももう心配ない。しかし、用心に越したことはないので、メニューを4アイテム減らして、早めに切り上げた。いくらか気分は晴れたが、トレーニングルームが冷えていたせいもあって、汗をかくこともなかった。
今度こそ本格的に復調するぞ。
11月19日(日)「長女の買い物・・・の風さん」
筋トレをした翌朝は気持ちよく目覚めることができる。外は今にも雨が降り出しそうな雲行きだが、わずかな筋肉痛に充実感を覚えて、元気よく起きた。
今日は来月から一人暮らしの練習を始める長女の買い物に付き合わなければならないので、先にミッシェルの給油に出かけた。来春、長女は就職するのだが、独身寮といった施設がないのである。おまけに朝が早く、夜が遅いため、自宅からの通勤では対応できないのだ。ずっとバイトを続けていて、第一志望の企業なので、とやかく言う気はない。第一、転勤もあり得るのだ。
案の定、長女の出発は遅れ、ブランチを摂ってからとなった。
ワイフと3人で金曜日に下見したビルへ出かけた。目的の店は家具屋と電器店と100円ショップ。最低限の準備とは言っても、そうは簡単に問屋は卸してくれない。ベッドやら洗濯機やら炊飯器やら・・・途方もない買い物になっていった。
私の場合は、大学院を出るまで自宅から通っていた。就職したときは、まず独身寮だったから、身の回りの品物と言っても、たいした物は用意する必要がなかった。そのまま社宅での結婚生活に入ったので、途方もない準備をしたわけでもない。考えてみれば、会社生活もプライベートの作家修行も、恵まれた環境の中で進展していったと言える。プロ作家デビューは、マイホームを持ってからだ。
長女の人生がこれからどのように展開されていくか、今は全く想像がつかない。すぐ後ろに長男と次女も控えている。子供らがしっかり自立するまで、子供らのためにも、私も自分の人生に果敢にチャレンジし続けたいと思う。
11月20日(月)「風さん危機一髪の巻」
出張で上京したが仕事は昼で終わるので、前もって午後有休を申請していた。
昼食後、同僚と別れ、丸の内オアゾへ行った。既製品のシニアグラスがずり落ちやすく、眼鏡店で調整してもらった。すごく丁寧に加工してくれ、しっくりと顔に合うようにしてくれたのに、料金を請求されなかった。いつかこの店でシニアグラスを購入できるだろうか。続いて、壊れたビジネスバッグを新調しようと、かばん屋へ入った。奇跡的にイメージにぴったりの品物があって購入した。早速、かばんの中身をすべて入れ替え、壊れているバッグは処分してもらうようにお願いした。
丸の内ホテルで某出版社の編集者と会った。何度目かのプロットの相談で、いよいよ大詰めである。再度修正したものを来週にも提出すれば、それを編集長へ打ち上げてくれるとのこと。エンターティンメントに近い作品なので、早く出版にこぎつけたい。
ホテルにチェックインしてゆっくりしてから、再び外出した。銀座でサイエンスライターの横山広美さんと会うためである。『ラランデの星』の書評を書いてくれたお礼に食事でも、と誘っていたのだが、前回は直前で都合が悪くなって、その後のびのびになっていたのである。
ソニービルで落ち合って、レストランへ向かおうとしたら、雨がぽつぽつ降ってきた。
「傘さしましょうか?」
横山さんが優しく言うのへ、少しも動じず、まるで手品師のように背広の内ポケットから折り畳み傘を取り出して見せたら、彼女は目を丸くして驚いていた(東京雨男は用意がいいのである)。
食べる余裕もないほど歓談で盛り上がって、11時近くなってしまったので、名残惜しかったけれども、そこで別れた。
電車を乗り継いでホテルに帰ると、玄関に妖しい女性が立っていた。よくいるのである。声をかけられたが、聞こえないフリをした。
フロントが混んでいて鍵を受け取るのに手間取った。エレベーターに乗って部屋のある階まで行く間に、客の乗り降りが何度かあって、私が間違った階で降りそうになったのを、一人の女性が指摘してくれた。容貌と発音から東南アジア系と見た。
目的の階で降りるのは自分だけだと思っていたのだが、その女性が一緒に降りてきた。脇に寄り添ってたどたどしい日本語で話しかけてきたので、英語で応じたが通じない。また、たどたどしい日本語。再度、英語で答えたがまるで通じていないようだった。
とうとう部屋の入り口まで来たところで、彼女がコールガールであることが明白となった。正面から見ると、なかなか魅力的な女性である。黒い皮のジャンパーを着込んでいて、靴も高価そうなのを履いている。珍しく、今夜の私は現金をしっかり持っていた(普段はキャッシュカードが頼りで、ほとんど現金を持ち歩かない)。すべてが運命的に仕組まれている気がした・・・が、突然、病院通いを思い出した。そうである。悲しいことに、私は既においぼれの仲間なのである。恥ずかしいことはできない(?)。日本男児の恥が世界へ伝わってしまう。それで、泣く泣くドアを閉めざるを得なかった(なんのこっちゃ)。
11月21日(火)「東南アジア系に惑わされる風さんの巻」
東京から岡山へ出張した。昨日から、吉村昭さんの『破獄』に夢中になっているので、のぞみの車中は読書タイムである。
名古屋駅から同僚らが乗り込んできたと思うが、どの号車にいるか分からなかった。
岡山からさらに津山線で先へ行かねばならなかったが、落石事故で不通になっていたため、タクシーで訪問先へ向かった。
午後いっぱい同僚らとともに真剣に仕事に取り組んだ。十分な成果が得られて、出張目的は果たせた。
帰りの新幹線に乗る前に、訪問先の人たちと食事をしたが、うまい具合に私の作家業の話が出たので、しっかり宣伝させてもらった。
料理を運んできた二人の仲居さんのうちの一人が、色がやや浅黒く、東南アジア系の顔立ちをしている。魅力があって、昨夜のコールガールを思い出した。
帰りの切符は名古屋までだったので、東京まで乗って昨夜のホテルへ行くことはできなかった(なんのこっちゃ)。
11月22日(水)「今月3つ目の書評出る・・・の風さん」
今日は製作所へ出社したあと、本社経由で、岡崎まで出張する計画だったが、それができなかった。朝から予想以上にやることが多く、とても手をはなすことができなかったからだ。
もしも本社へ行けたら、学会誌に載っているはずの『ラランデの星』の書評をチェックするつもりだった。それができないのは残念だったが、仕方ない・・・と諦めていたら、本社にいる元部下からメールが届いていた。その書評を発見したという。しかも、添付ファイルがついていた。頼んでいたわけでもないのに、本当にありがたい。
書評は、東京農工大の涌井伸二教授が「システム/制御/情報」2006年11月号に書いてくれたものである。鳴海風の紹介から、『ラランデの星』の内容はもとより、主題までしっかり解説してあり、さらに私の文学の考察から将来展望まで語っているという、恐ろしいくらい完璧な(まるで論文のような)書評であった。
帰宅してから、出版社へその書評をファックスした。
11月23日(木)「ARTBOX・・・の風さん」
株式会社竹中工務店名古屋支店設計部が、毎年この時期、「ARTBOX NAGOYA」という作品展示をしている。建築現場などに転がっている素材を使い、わずか50cm四方ほどの空間に、建築家らが思い思いの造形物を飾るのだ。今年はその17回目にあたり、私は10年ほど前から万難を排して見学に行くことにしている。それは、知り合いの建築家が、毎年凝りに凝った作品を展示するからだ。どう凝りに凝っているかと言うと、素材や製造法そして仕掛けなどがちょっとやそっとでは分からない工夫がされているのだ。
以前、カップめんの中身だけを用いた人の顔のときは、思わずうなってしまった。タイトルはそのカップめんの値段だったし、縮れた髪の毛は、いったんめんを茹でてほぐしたのち人の頭髪の形に成形したものだった。ガラスを用いたオブジェのときには、(生産技術の専門家である私でも)その加工法が分からなかった。どこからランプを仕込んだのか分からない和紙のあんどんのときは、便器などのトイレと同様に、石膏で作った型の中で水に溶かした繊維を徐々に乾燥させて、内側が空洞になった和紙の入れ物を作ったことを見抜いた。
「ARTBOX NAGOYA」は毎年、テーマが決まっていて、昨年は「風(Fu)」だった。知り合いの建築家は、このときとばかり、私を外部審査員の一人にしようと計画していたが、残念ながら本人が途中で病気で倒れてしまい、私への審査依頼の話はなかった。
知り合いの建築家は、見事に病気を克服し職場に復帰した。
今年のテーマは「深×深」である。そして、私に外部審査員の依頼があり、きたる12月5日(火)、会社を休んで参加するつもりである。
11月24日(金)「たくましいコンパニオンに脱帽・・・の風さん」
午前中に、前回に続いて総合病院を受診し、ついでに歯科医院にも行った。総合病院では薬をもらい、歯科医院では取れてしまった右奥歯の詰め物を再度嵌め込んでもらった。
ワイフが明日トールペインティング体験教室で使わせるサインペンを大量に買う必要があり、昼食も摂らず、その買い物に奔走した。
実は、今日午後から明日の昼まで、職場旅行で下呂温泉に行くことになっていた。今日はウィークデーなので、最低限午後有休を取らなければならない。職場の長である私が提案したのだから、何の障害もない・・・と思っていたが、生産現場を抱える職場としては、なかなか平日に操業を止めるのは無理があり、旅行参加者は在籍者の約3分の1にあたる30人弱である。
下呂温泉では徹底的に痛飲することになっているので、交通安全のため、往復は貸し切りバスである。
午後2時半に製作所の門を出てすぐ、つまみとアルコールが配られて酒盛りが始まった。現地に着くまでの3時間ほどで2ダース入りビールのケース3つが空になった。私は1缶だけで酔ってしまい、うつらうつらしてしまった。それにしても、いつも帰宅時は真っ暗なのに、平日に、しかも明るいうちから飲み出して、次第に山の斜面が夕景に変わっていくのを眺めるのはなかなか乙なものである。
外気温4℃という表示が見えた。山は寒いのだ。
温泉宿に着いて早速露天風呂に直行した。明日、帰るまでに3回は入浴するぞ。
宴会は7時からで、私は知らなかったのだが、コンパニオンが4人呼ばれていた。職場の女性が一人も参加しなかったのでできることだ。それにしても、このコンパニオン、そろいのコスチューム(白のジャケットにスリット入りミニスカート)で、ちょっと危ない雰囲気である。
同僚らはコンパニオンの登場で、狂喜してしまい、酒が進むにつれて、大胆な行動に出始めた。私は見て見ぬフリ。それよりも、小説家として人間観察をする絶好の機会だと思った。偉大な長谷川伸先生の教えに従って、彼女らの素性を想像しようとした。が、どうにもよく分からない。そこで、近くに来て酌をしてもらうたびに、質問の矢を放って、それらをつなぎ合わせながら、彼女らがコンパニオンをしている背景を想像してみることにした。
しかし、宴会の2時間だけでは不十分だったので(なんのこっちゃ)、有志が彼女らを連れてラウンジへ移動するのに付き合った。そこで、さらに聞き込み調査を続けることで、彼女らのたくましい生き様が浮かび上がってきた。先ず、彼女らは流れ者ではなく、地元にしっかり根を下ろした土地っ子だった。二人は昼間別の職業でしっかり稼いでいた。中でもリーダー格の女性は、女手ひとつで二人の子供をしっかりと育てていた。夢と希望を持って元気だ。コンパニオンのテクニックとして、さまざまのサービスを仕掛けてくるが、中身は立派な人格者なのである。
4時間以上飲まず食わずで働いた彼女が空腹を訴えたので、閉店間際のラーメン屋で夜食をごちそうしてあげた。
午前零時で彼女らと別れ、部屋へ戻ったところで、忘れていたことを思い出した。ハンガーに掛けておいて乾いたタオルをつかんで、再び露天風呂へ向かった。
11月25日(土)「帰宅しても忙しい風さんの巻」
朝食前に3度目の入浴をして、自らに課したノルマを達成した。
朝食時、見ると二日酔いの人間が多い。ラウンジへ行かなかった者も、部屋で深夜まで飲んでいたのだ。漏れ聞いたところによると、かなりたまっていた愚痴を吐き出していたそうだ。職場の長として反省しなければならない。また、こういったガス抜きの必要性をあらためて感じた。
午前9時に宿を出発したが、バスが走り出してまもなく吐き気を催した者がいて、途中で休憩しなければならなかった。
私はもちろん二日酔いするほど飲んではいなかったが、夕べの人間研究の疲れが出て(なんのこっちゃ)、バスの中ではほとんど寝ていた。
昼過ぎに無事製作所に着いて解散すると、私は一路ワイフのところへ買い物を届けた。
帰宅して、日本推理作家協会の会報「ハガキ随想」を仕上げて印刷した。
まだ元気があったので、筋トレに行って来た。が、やはり体力は残っていなかったので、軽い運動で切り上げて帰ってきた。
今夜中にホームページを更新するつもりだ。
11月26日(日)「吉村昭さんの作品に学ぶ・・・の風さん」
目標とする作風の作品『ポーツマスの旗』(吉村昭著)を読み終わった。
全く感情を見せない「あとがき」を読んで、吉村さんの取材の徹底ぶりを垣間見た。
会談の現場となったポーツマスを訪れていた。しかも、会談場所は、現役のアメリカの軍事施設だったため、外務大臣の尽力を仰いで実現させていた。さらに、夏期にポーツマスで蚊が発生していたかといったことにいたるまで入念に聞き込んでいた。
また、主人公である小村寿太郎の人となりを知るために、多くの関係者や記録にあたっていた。それを、吉村さんは家庭人としての小村寿太郎を知るため、と書いてあった。
私も『怒濤逆巻くも』で小野友五郎を描くため、かなり頑張って資料調査や現地取材をした。しかし、とうとう脱稿するまでに、小野友五郎が訪れたサンフランシスコやワシントン(ホワイトハウス)を取材することはできなかった(写真やインターネット、DVD資料までだった)。また、小野友五郎のプライベートな人柄についても、親戚や知人の子孫などにあたるところまで行かなかった(出版後、咸臨丸子孫の会の特別会員となって小野友五郎の子孫の方と知り合いになった)。
調べれば調べるほど、知った事実に拘束されて、自由な発想の小説が書けなくなるという心配はある。しかし、どうだろう。吉村昭さんの作品のスケールの大きさ、物語の面白さは。圧倒的なリアリティというものは、下手な空想、フィクションよりもずっとエキサイティングなのかもしれない。
いずれにせよ、作風という点で、吉村昭さんは鳴海風にとって最大で最高の目標である。
次に読んでいるのは、『破獄』である。
11月27日(月)「小説家としての自覚?・・・の風さん」
昨日仕上げた某社向け長編プロットの最終版を、今朝、通勤途中で投函した。分局のポストへ入れたので、早ければ明日の午後、届くと思う。一昨日、日本推理作家協会のハガキ随想も送ったので、再び、『和算家と日本の歴史』(仮題)にも取り組まねばならない。
・・・とは言っても、悲しいのは宮仕え(笑)。平日の大半は会社で過ごさねばならない。そのような中、今日は、会社でお付き合いしているJG社の重役さんから、「社内の関係者に配りたい」とのことで、『ラランデの星』をどっさり注文していただいた。
帰宅して、書斎でやった最初の仕事は、出版社への『ラランデの星』の発注である。先ず、拙宅へ送ってもらい、私がサインをして、おまけを同封した状態で、JG社へ転送することになる。
とにかく、商売繁盛、商売繁盛・・・うれしいな。
今日のトピックスをもう一つ。職場の旅行の写真が早くも公開された。コンパニオンとたわむれる宴会風景の写真が、たーくさん。痴態の数々に唖然としつつ、自分たちの仕事の厳しさをあらためて痛感した。みんな、すごいストレスを抱えているようだ。え? 私はどうかって? ラッキーなことに、後ろ指さされるような写真は全くなかった。きっと、小説家としての自覚が平静さを失わせなかったのだろう。ほっ。
11月28日(火)「深夜の秘密兵器・・・の風さん」
夕食後、ワイフが深刻な顔をして質問してきた。
「あなた。こんなことってあるかしら?」
「こんなことでは分からないだろうが」
「庭のログ(トールペインティング教室をしている離れのこと)のキャビネットの中に、絵を描いたロウソクをしまってあったんだけど、開けてみたら、齧られた跡があって、歯型がついていたのよ。夜、静かになると、足元でかさこそ音がする気もする」
「ネズミだろ」
「やっぱり。生徒さんたちもそう言ってたわ」
昔住んでいた家の浴室に、ときどきドブネズミが排水口から出てきて、石鹸を齧っていたことがある。石鹸もロウソクもチーズと勘違いして齧っているのだろう。
「いったいどこから来ているのかしら」
「床下から配管の隙間を通って室内に侵入しているんじゃないか」
「怖いわ」
急いで書斎を往復してきた私は、得意げに秘密兵器をワイフの眼前に突き出した。
「超音波式ネズミ・ゴキブリ駆除機だ」
「あなたの書斎は、まるでドラえもんのポケットね」
その夜のうちに、ワイフのログに秘密兵器を仕掛けたのは言うまでもない。
11月29日(水)「迷惑メールがまた激増・・・の風さん」
インターネットで遊んでいると仕事にならないので、ここのところクリックの回数は減っている(なんのこっちゃ)。
契約しているプロバイダーのメールサーバーの中をチェックしたら、3日間で迷惑メールが682通もフォルダーにたまっていた。ここをすり抜けた迷惑メールが、執筆マシンにインストールしたスパムメールキラーでフィルタリングされ、さらにメーラー(OUTLOOKEXPRESS)の中で指定フォルダーに保管される。だから、私が開いて読むメールは1日に10通もないのだが、それにしても迷惑メールの増え方は異常だ。普通の人ならとっくにメールアドレスを変更しているところだろう。
このホームページのアクセスカウンターが順調に増加している。今年は80000まで行けばよいと思っていたのだが、既に83000を超えているのだ。やはり作家は、文章を書かなければいけない。
昨夜の秘密兵器は、効果があるのかまだ分からないという。
06年12月はここ
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